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ノートルダムのせむし男②

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 4月22日(月)13時40分46秒
編集済
  ところで、ヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダ
ムのせむし男」は邦題だったのですね。原題はNotre-
Dame de Paris「ノートルダム・ド・パリ」。今でこ
そ、なんでも原題をそのままカタカナ表記しています
が、昔は粋な邦題を付けていたのです。1970年代から
でしょうか、横文字を付けるのをカッコいいという風
潮になったのは。

この「せむし男」も、原題より小説の核心を突くタイ
トルでした。

おぞましい容姿の背虫男、ノートルダム寺院の聖職
者、そして既婚者だがマッチョなイケメン軍人。この
三者が一人のジプシー女に恋をする。どの愛が真実か
をこの小説は描いていくのです。で、現在は「せむし
男」という言葉は差別用語ということで使用禁止にな
っています。

ところで、最近はなんでもかんでも差別用語で使用禁
止になっています。なぜか「てんかん」だけが現役な
のが私には解せないのですが。

【使ってはいけない差別用語一覧】

〇ポリ公、木っ端役人、乞食、ルンペン、ぽっぽや、
坊主、百姓、土方、株屋、中卒、中二病
〇部落、屠殺、鮮人、在日、支那、三国人
〇アル中、ニート、未亡人、女々しい、土人、板前、
裏日本、痴呆、初老、中二病
〇めくら、つんぼ、おし、どもり、ちんば、びっこ、
かたわ、きちがい、黒ん坊、チビ、ハゲ、おっさん、
ジジイ・ババア、デブ、ブス、ぎっちょ、ガイジン
〇アカ、ブサヨ、パヨク、ネトウヨ
〇おかま、レズ、ホモ、

そしてなぜか「バカチ・ョ・ンカメラ」まで・・・ア
ッそうか、「チ・ョ・ン」ってあれか。でも言い得て
いるけどね。「ぽっぽや」健さん困っちゃうね。「ハ
ゲ」トレエン笑っちゃダメか。「おかま」おすぎとピ
ーコはそれを売りにしてたのに。「板前」板さんって
いい言葉だと思うけど。「アカ」共産党を侮辱する言
葉だからだめなんだって。自分達で「赤旗」って言っ
てるけど。

西洋に習って指定された日本の差別用語って、私には
ピンとこないです。使ってもなんら支障のない言葉に
見えますが。

それに、禁止すればそれで解決するとも思えないので
す。その言葉がメジャーになれば、又それが差別用語
になるんじゃないの。差別用語って、相手を非難嘲笑
するための手段(言葉)だから、その言葉をピーーって
消すだけじゃ。  (つづく)
 
 

ノートルダム寺院

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 4月16日(火)17時53分31秒
編集済
  パリのノートルダム大聖堂が大火災。

CNNやBBCなど欧米系のTVは今日ずっとこの特番を
流している。でも、日本のテレビは通常のニュース
扱い。日本と欧米は違うんだなぁ、と感じました。

キリスト教の魂を微塵もわからない私には、焼け落
ちる大聖堂の写真もゴッホやゴーギャンのような一
幅の絵画に見えてしまうのは、全くの不謹慎の謗(そ
し)りを受けてしまいそうです。

ノートルダムと言えば「ノートルダムのせむし男」
が有名です。今、せむし男と言っちゃいけなかった
のですね。でも、高校時代にそんな文学作品は見な
いで、倒錯した性描写に惹かれてジャン・ジュネの
「花のノートルダム」を回し読みしていたのを思い
出しました。

やはり、不謹慎です。
 

もう一つの名月「十三夜」⑧

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 4月12日(金)19時14分35秒
  残心とは、「全身全霊気合いを込めて事に当たれば、
一滴の心が残る。そこから又、未来は開ける。」と武
蔵は言う訳ですが、その、「一滴の心」とは何でしょ
う。

法華経の核心の考えに、「一念三千の法理」というの
があります。「この世の全ての事象(三千世界)は、一滴
の心(一念)から始まる。」と言うのです。

一滴の心を法華経では生命と結論付けたようです。

「私の命、あなたの命。一個の命(生命)は、死ぬことで
失われるものではなく、永遠に続いて行くものです
よ。」というのが仏教の結論です。だから、「今をよ
り良く生きて、命を綺麗にして、命を成長させて、そ
うして又来世に備えなさい。」と仏教は教えてくれて
います。

こうして幾万世代にも渡って磨きあげられてきた命が
集まっているのが日本だと、私は思っているのです。

「一念三千の法理」の中に「国土世間」という考え方
があります。人間の命を地獄・餓鬼・畜生・修羅・
人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏という10段階に分類す
るなら、それは国土世間にも当てはまるというのです。

例えば修羅界の人が多く集まる国は「強い者にはひれ
伏すが、弱い者には傲慢になる。自分より優れた者を
妬み、自分をいかにも優れたものに見せようとする」
という我がままで嘘をまかり通す国になる。

一方、菩薩界の多く住む国は、「仏の覚りを得ようと
して不断の努力をする国で、争いを好まず他人を思い
やろうとする。」

日本そのものです。(終)
 

もう一つの名月「十三夜」⑦

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 4月 5日(金)20時33分56秒
  さて、疑問はまだ続きます。

「遊楽までも次を見据える発想が日本にはある」と言
いましたが、「途切れ無く先を目指す。」という発想
はどこから生まれてきたものなのでしょう。

日本の家道・武道に「残心」という考え方があります。

「残心とは、極めた後に油断せず、気を引き締め、気
を巡らし、呼吸を整え、次なる攻撃に備えて構えを崩
さない事。」だそうです。起源は「五輪書」で有名な
宮本武蔵の「兵法35箇条の26」に次のようにあるよう
です。

「残心は、心を残すと訓(よ) 見て、全々勝ちと見ても、
油断せぬと云う教えなり。」例えば「茶碗に水を汲み、
速やかに捨て、中を見れば則ち一滴の水あり。是、速
やかに捨てる故にもどる。」これは、「心を残さねば
残ると云う理(ことわり)、もどる心なり。」

(私の訳です)  例えば、茶碗に水をくみ、それを「エイ
ッ」とばかりに気合いをいれて一気に捨てると、その
中には一滴の水が残る(実験しましたが確かに)。だが、
だらだらとゆっくり捨てると、一滴の水も残らない。
これは、心を残さねば=全精神を集中させれば、一滴の
心が残る、という意味だ。

「一滴の心が残れば、またそこから次は始まる。」と
武蔵は言っているわけですが、「一滴の心」とは何で
しょう。(つづく)
 

もう一つの名月「十三夜」⑥

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 3月30日(土)22時04分57秒
編集済
  ところで、私のお気に入りの城に国宝松本城がありま
す。そこには観月のための櫓(やぐら)「月見櫓」がわ
ざわざ設(しつらえ)てある。松本城は1634年の築城で
すから、もはや天下泰平の世です。

国が安らかな時は、遊び心も生まれる。

日光東照宮も1617年創建ですから、あの逆さ紋様も
「遊び心」の産物です。そんな中で十三夜も遊び心な
のでしょうか。違いますね。それはやはり、中秋の十
五夜を観ての翌月の十三夜というところにヒントがあ
りそうです。

この10月の十三夜の完成版としての満月はいつなので
しょう。

それは来(きた)る年の中秋の明月なのだと思います。で
すから、十三夜は遊び心で観賞する月ではなく、未来
への思いの込められたものです。

来年の中秋の明月にはどんなにすばらしいものに出会
えるのだろうという期待。その場の享楽に終わるので
はなく、遊楽までも次を見据える発想が日本にはある
ようです。(つづく)
 

もう一つの名月「十三夜」⑤

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 3月26日(火)22時27分40秒
編集済
  ここで、3つの疑問が。

1、そもそも、十三夜と同じ形は満月を挟んで前後二つ
あるわけです。形が美しいというのなら、十七夜の月
でもいいはずです。でなくて何故十三夜だけが格別な
のか。

2、また、中秋に満月を観た後の翌月に何故十三夜な
の。仲秋(9月)の不完全な十三夜を楽しんで、そして
2日後の完璧な十五夜で喜びを頂点にさせる。これが自
然でしょう。敢えて、翌月の中途半端な十三夜をなぜ
名月とするのか。さっぱり分かりません。

3、さらに、メイゲツの呼び名は厳密には「名月」と
「明月」があります。十五夜は明月、十三夜は名月を
当てるのだそうです。なぜ字を違わせているの。

哲学に形而上(けいじじょう)と形而下という考え方が
あります。形而下が形として目に見える物に対して、
形而上はその形(物質)を超越したもの、心や意識で感
じるものについての考察をします。

十五夜は物的な「形而下の月」で、十三夜は心的な
「形而上の月」と言えるのかもしれません。

十五夜は見たまんまの子供でも分かる「明るい月」
です。しかし、十三夜はそこに思いを込めて評価する
「大人にしかわからない、心で愛でる月」なわけで
す。名月と評価できるのは大人だけです。では、十三
夜にはどのような思いが込められているのでしょう。
(つづく)
 

もう一つの名月「十三夜」④

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 3月22日(金)19時58分14秒
  吉田兼好と言えば鎌倉幕府末の官吏で後に坊さんにな
ったとされます。出家先は法然の浄土宗。

なるほど、浄土宗なら「完璧じゃなくてもええじゃな
いか。」という発想が生まれるかもしれません。

徒然草第39段
ある人が法然上人に「念仏を唱えている時眠くなって
しまうんですけど」と相談したところ、上人は「目が
覚めたら、また唱えれば良い」と答えた。これは「い
と尊かりけり」。

と嫌好も賛同しています。これが浄土宗の教えです。

ところが、宮沢賢治が信仰したのは天台宗の法華経で
す。「恐れず、常に高みを目指しなさい(勇猛精進)」と
する教えです。

それでは、十三夜は吉田兼好流(浄土宗)か宮澤賢治流
(法華天台)か、どちらで理解すればいいのでしょう。(つづく)
 

訃報

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 3月16日(土)19時03分28秒
  かばさんこと川畑義法様が3月15日午前4時40分
永眠されたそうです。3月22日(金)通夜、23日
(土)告別式。詳細はよけん坂掲示板にてhttp://yokensaka.com/bbs/ipponmatu/ipponmatu.cgi?list=pickup&num=5435#5455

山川にとってなくてはならない人を失ってしまい
ました。今、放心状態です。皆さんがかばさんを
慕われる中で、私は1996年からweb上で、丁丁発
止の関係でありましたが、本当は尊敬していたの
です。

そのことを昨年4月に「かばさんに町民栄誉賞を」
というタイトルで気持ちを吐露したところ、とて
も喜んでもらえて、私的にメールまで頂きました。

同郷人の総意として、ここに町民栄誉賞を贈りた
いと思います。

 

もう一つの名月十三夜③

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 3月13日(水)19時26分35秒
  宮沢賢治といえば、そのバックボーンは法華経です。そ
の線で調べていましたら、未完の完が最初に日本の文
献に現れるのは、吉田兼好の徒然草でした。

ただ、調べていくうちに、宮沢賢治の「未完の完」論
と、出発点の吉田兼好のそれとは異質になっているこ
とに気づきました。

吉田兼好「徒然草第82段」から
「物を必ず一具に整へむとするは拙(つたな)き者のする
事なり。不具なるこそよけれ。」と言いしも、いみじ
く覚えしなり。総て何も皆事整ほりたるはあしき事な
り。尚残したるを、さてうちおきたるは、面白く、生
き延ぶる事(わざ)なり。

「完璧に作りたいと思うのは愚か者の考え、課題があ
った方が次に繋がる。」というのが兼好の論です。

この発想は「不揃いの美」として、その後の日本の芸
術の評価点ともなります。茶器の金継ぎ文化もそこか
ら生まれたのかもしれません。

ただ、徒然草82段の最後「生き延ぶる事(わざ)なり」
を私は「課題があった方が次に繋がる」と訳しました
が、そこまで前向きではないようです。日光東照宮も
そうですが、課題が残るわけではなく、こうすれば完
璧だとわかっていながらそれをあえてせずに、余裕で
不完全さを残して遊びを楽しんでいる。

では、なぜ吉田兼好はそのような発想に至ったのでし
ょう。(つづく)
 

もう一つの名月「十三夜」②

 投稿者:クレオパトラの夢  投稿日:2019年 3月 8日(金)12時10分45秒
編集済
  日本に「未完の完」という考え方があります。

例えば、有名なところでは日光の陽明門。全てが完璧
な出来栄えです。ところがその正面の柱に未完成な箇
所があるのです。右から2番目の柱だけが敢えて逆さま
の紋様に間違えてある。

日本の技術は常に完璧を目指す「匠の世界」と思って
いましたが、わざと余裕を見せる遊び心 ・・・?。そう
かなぁ。

宮沢賢治がその著書「農民芸術概論」の中で「未完既
に完成  求道即道也」と述べているそうです。

未完(十三夜)というのはすでに十分な美しさがある。で
も、そこからさらに高み(満月)を目指そうとする姿があ
るなら、未完には無限の可能性を秘めた美しさがあ
る。その美しさは大人でなければわからない、という
ことでしょうか。

この「未完の完」の日本独特の発想はどこから生まれ
たものなのか次に探ってみます。(つづく)
 

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