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シュッツェンリーセルって

 投稿者:TANGO  投稿日:2012年 1月10日(火)01時23分48秒
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  有名な画家が描いた、1枚の絵。看板の絵なのですが、2.8×5.0mの大きさ。これが爆発的人気を呼び、それを飾っていたビール小屋は超満員になったとか。その絵には、若い綺麗な女性が両手にビアマグを持って(右手に5、左手に6?)、樽の上で踊っているかのよう・・・。頭には、丸い射撃標的の飾りが。編みこんだ髪は撥ねているし、ビアマグの中のビールもこぼれかけてるし、とにかく躍動感が溢れた絵でした。



で、この絵のモデルになった女性についてキッチリ記録されているのです。1860年9月19日生まれの「コレッタ」ちゃん。二十歳の頃の絵でしょうか。16歳からビアホールでウエイトレスをしていて、きつい仕事なのに(向こうのビアマグは1リットル入っていて、かつ陶器のビアマグですから1杯が重いの何の。)それを11~12持って、地下のケラーから1階のラウンジまで運んでいる。それもいつも楽しそうに。これは話題になるはずです。彼女こそが「シュッツェンリーセル」(射撃手リサ)なのです。

  コレッタちゃんはバイエルン片田舎の Ebenried bei Pöttmes エーベンリートという村で未婚の母の元に生まれました。エーベンリートとブルクレンとは数十キロほどしか離れていません。こんなに近いところに有名な「シュッツェンリーセル」の生まれ故郷があったのです。

 コレッタちゃんのお母さんマリアンヌさんは、窮屈な田舎暮らしに見切りを付けて、バイエルンの首都ミュンヒェンに移り住みます。コレッタちゃんは学校にあがる年頃になると、その頃唯一修道院を持っていた貧しい修道会に身を寄せ、将来は手芸を教える先生になろうと勉強をしていました。

 平行して、お母さんは古着屋の店を開いたのですが、その店へは、画家たちが歴史的な絵を描くための古着探しや、彼らのギャラリーを飾るための衣装を調達に来たりしていました。お母さんの店の常連のお客さんは、お母さんの店だけでなく、彼女が16歳から働き始めた、ミュンヒェンの小さなビアホール(シュテルネッカーブロイ)へも常連客として訪れていました。コレッタちゃんは経済的な理由もあって、先生になる夢をあきらめてしまって、ビアホールで働いていたのです。

 ある日、コレッタちゃんが働くビアホール 「シュテルネッカーブロイ」にて、射撃祭フェスティバルが始まる前、ある日有名な画家「フリードリッヒ アウグスト カウルバッハ」が座っていました。突然あるアイデアがカウルバッハに浮かびます。
 「そうだ、コレッタを小屋の標しにしよう」カウルバッハはコレッタにモデルになってくれるように頼み、彼女の両手にマースを持たせ、片足を上げて、ビア樽の上で踊っているように。更には射撃の的を頭に載せて、「射撃手リサ」のテーマを展開させました。

 彼はそのスケッチをスタジオに持ち帰り、例の絵を描き上げたのです。

さて、狩猟の国ドイツでは(その頃はバイエルン王国)連邦で射撃協会が組織され「射撃祭」が3年に1回開催されていました。1881年に第7回ドイツ連邦射撃競技会がミュンヒェンで大きなフェスティバルが開催されました。遠方やさまざまな地方から腕に自信のある射撃手が集まりました。会場のテレーゼ広場では(ここはオクトーバーフェストが開かれるところ)4つの小屋が設置されました。それぞれ、「野生のハンターへ」「盲目の射手へ」「金の雄ジカへ」「射撃手リサへ」という名の小屋でした。参考サイトは次のとおり。
http://www.schuetzenliesl.de/schuetzenliesl_homepage_bundesschiessen_festplatz.html

コレッタがモデルの絵は射撃祭の4つある小屋のうちの一つ、あるビール小屋の壁に掲げられました。人々は「Schutzenliesl」の絵の下で、本物の「Schutzenliesl」にビールをサーブしてもらおうと列を作りました。「Schutzenliesl」の小屋はフェスティバルの間、どんな隙間も無いくらい、本物の「Schutzenliesl」を求めて人々が押しかけ賑わったそうです。「Schutzenliesl」ではビールが川のように流れているとの噂も出るほどでした。


Lieslって、Elizabethを短くして派生した名前だそうで、主にドイツでよくみられる名前です。英語でなら、Lisa

次に調べたのが、エーデルワイスカペレ、ペーターさんが言っていたという(これは又聞きです、)「シュッツェンリーセルとは銃のこと」という話。これはどうじゃイと「gun  schotzenliesl」で検索するも、これといったのにはひっかからず。「Rifle Schutzenliesl」で検索するとありました。ライフルの胴にあの「リサ」がデザインされているのです。

シュッツェンリーセルの歌詞は、「シュッツェンリーセル」が「射撃祭のウエイトレス」というよりも、「シュツェンリーセルの絵が描かれたライフル」とした方が、歌詞の意味が通ります。なるほど。これは深い。

  この曲が作詞、作曲されたのは1950年代のことになるのですが、次は、この曲の出所を探しにネットサーフィンしないといけない。
1952年に Fred Rauch  によって歌われ、大ヒットしました。Fred Rauchは、作詞家、コメディアン、歌手として、バイエルンのラジオ放送の番組でアルペン音楽の振興に貢献し、トランペットエコーで有名な「Slavko Avsenikと彼のOriginal Oberkrainern」を見いだしてもいます。

作曲はGerhard Winkler。
 
 
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