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無知の人様へ

 投稿者:全雄  投稿日:2009年 1月 5日(月)19時29分20秒
  はじめまして、大変返事が遅くなりまして失礼しました。

ホームページご覧下さりありがとうございます。インド仏教と言いましても、現在は、いくつもの団体に枝分かれしています。大きくは伝統派のベンガル仏教徒と戦後初代法務大臣アンベートカル氏によって改宗した新仏教徒となりますが、その他にもアッサムやマドラスにも仏教会があるようです。現在は国が違っていますが、バングラデシュのチッタゴン丘陵地には、少数民族のチャクマ、マルマ、等の仏教徒もいます。

それらの仏教会の人たちは日本にも様々な目的で来られてはいますが、残念ながら、お寺や団体を作られたということは聞いたことがありません。現在、スリランカ、タイなどのお寺の出先機関としてのお寺は日本にいくつかあります。また日本テーラワーダ仏教協会という日本での上座仏教宣布のための協会があり、全国各地で講演会や瞑想会をなさっておられます。ネットでお調べになればすぐ分かると思います。

是非ご覧下さい。また何かありましたら、お気軽にお尋ね下さい。
 

インド仏教について

 投稿者:無知の人  投稿日:2009年 1月 1日(木)16時46分45秒
  はじめまして

インド仏教の葬儀の欄を見せていただきました。私の家は日本の仏教のごく普通の宗派なのですが、インド仏教に惹かれるところがあります。私自身は仏教徒といっても無宗派みたいなものです。日本にはインド仏教の宗派のお寺とか宗教団体はないのでしょうか?
 

ありがとうございます

 投稿者:全雄  投稿日:2008年11月10日(月)14時23分59秒
  道辺の小石も山の石様、貴重な実体験について詳しくお書きくださり、誠にありがとうございました。勉強になりました。

傷の大きさ深さに違いはあれど、自分にとっての心の傷というものは誰もが何かかかえているものではないかと思います。ですが、その傷が、大きく深いものであったればこそ、真剣に、また切実に感じ、それをまた真摯に受け止められて乗り越えられたのだと存じます。すばらしいことだと思います。長い人生の中でずっとそのことに悩み、辛い思いをかかえてこられたことをこうしてここにお書き下されましたことに感謝申し上げます。

私はそこまでの辛い思いを長くかかえていた時期はありません。小さな悩みを繰り返しかかえてきた程度ではありますが、それでも、その都度、そのつらさに気づき心を変えていくことでそれを乗り越えて参りました。その際には慈悲の瞑想を繰り返し念じたりしたこともありますが、それは、山辺の石も山の石様の試みられたことに通じるものではないかと思いました。

私も死ぬまで学びの修行の繰り返しなのだと考えおります。お近くにお住まいのようですので、是非一度お会いしたく存じます。よろしかったら、どうぞ、お気軽にお立ち寄りくださいませ。
 

フラッシュバックについて

 投稿者:道辺の小石も山の石  投稿日:2008年11月 9日(日)01時31分0秒
  散歩中に立ち寄りました。だらしない者さんのおっしゃるフラッシュバックの文章に関心が生じましたので、書き込みます。
私も経験しております。今から50年程も昔のことです。神辺中学校時代に野球部の部室に一人連れ込まれて、集団暴行を受けました。それは、私に悪意のある近所の一年先輩が野球部に依頼したものです。しかし、恐怖のためか暴行の内容は記憶が無いのです。報復を恐れた私は誰にも言いませんでした。その翌日から私は学校へ行くのを止め長期休学しました。暴行を受けてから数年後、恨み憎しみの自分の心に苦しんだ結果、そこから解放されたいと願うようになりました。風に揺れる木々の一枚、一枚の葉を一方向に直すより難しい、心の変化。一瞬で憎悪の生じる自分の心を変えるにはどうすれば良いか。中学卒業後、根っこから根本的に木そのものを正す事、自らの心を変えるしか無いと結論に達したのです。それが、お釈迦様の教えを求める初めでした。そこで、心を清らかにすること。自分というものを捨て、世のため人のためを願い、一日一日を一生と感じて、寝るときはこのまま死んでも良いと思い、日々日記を書いて一日を感謝する。目覚めたら、新しい朝に「さあ、頑張ろう。世のため、人のため、思う心が我が心」と手を合わして仕事に出かけました。そして、数十年、恨み辛みはいつの間にか消えておりました。ある日、"私というものに実体は無い"という体験が突然に訪れ、この世というものには実体がなく変化し続けるもの、人間は苦の信号で生きている。無我仏心こそ、本当の慈悲であると知らされました。それでも、性欲、食欲、物欲は旺盛です。五戒の道も守れず、貪瞋痴の自我の生じる一瞬に後悔し戸惑うばかりです。還暦を過ぎた今でも、楽しく語らう妻や子、孫を乗せて車で彼の営むお店の前を通るときに、フラッシュバックが生じます。もちろん、家族は知りません。それほどに、イジメや虐待が心の傷として残っています。しかし、その直後、あの人も元気でいるのかなぁ、と心が優しくなるのです。
 

世界最強のボーディスト

 投稿者:謎の超音波男  投稿日:2008年11月 7日(金)09時13分20秒
  http://hidekisano.web.fc2.com/
http://khoomii.web.fc2.com/
改めて
2006年に父が死去 人生でいろいろと大変でした。
心機一転してがんぱります。


英語では、フロット・シィーギング
Throat-siging
日本では喉笛
中国内モンゴル自治区では ホーミー
モンゴル国ではフーミン
タイでは、ヌカウ
ベトナムでは、ゴー
インドでは ボー
ネパールでも ボー

といい、
3000年前のサンスクリット語では、
なんと、喉笛のことを「ボー」と呼んでいた事があきらかになってきた。

たぶん、日本の坊さんの「ボー」だと思えば、
喉笛ができない人は単なる僧侶という事になる
http://hidekisano.web.fc2.com/

http://hidekisano.web.fc2.com/

 

そうですか

 投稿者:全雄  投稿日:2008年 9月23日(火)18時51分2秒
  だらしない者様へ。仏教の特に初期仏典にはたくさんそのような事例が記されているはずです。瞑想は個人の様々な体験については気をつけて他に語らないようにしているからではないかと思います。その体験はその人だけのものであって、他に語るべきものではない。ただ自分の瞑想の先生を別にして。

北王路書房の「マインドフルネス認知療法」という本があります。少し高い本ですが、これはアメリカの鬱病の医者たちが、仏教のヴィパッサナー瞑想を鬱病患者に体験させて、効果を上げたということが数値に表されて記されています。医者たちも実際に真剣に瞑想し、それを患者に施しています。すばらしい本です。是非ご覧下さい。

歩く瞑想をされたとのことですが、歩く瞑想だけでなく、座る瞑想もなさってみて下さい。また日常にもそれを活用されてみると、自分を客観的に見ることが出来るようになると思うのですが。自分なりの工夫も必要になるかとは思いますが、是非続けてなさってみて下さい。
 

考えがうまく纏まらないので支離滅裂だったりしたらすみません。

 投稿者:だらしない者  投稿日:2008年 9月22日(月)21時04分40秒
  お返事ありがとうございます。

返信が遅れて申し訳ありません。
私が読んだのはスマナサーラ長老の「頭が突然鋭くなる瞑想法」です。

五年程前に歩く瞑想を数ヶ月やってみたのですが、何も変わりませんでした。

私は虐待された事があり、ビパッサナー瞑想以外にも虐待の後遺症を何とかしようといろいろと試してみたのですが、正直言って何をやってみても何も変わりませんでした。

仏教の瞑想で心に負った傷から立ち直ったという方は何名程いらっしゃるのでしょうか?また、虐待の連鎖という現象がありますが、瞑想をしてその連鎖を断ち切れた人等はいますでしょうか??特に虐待の連鎖だけでなくてもいいのですが(アルコール依存でもいいですし、絶望の淵にいる人を救う、地震等の災害がおこった直後の心的外傷を癒す等何でもいいのですが)瞑想を実践した時の具体的な実績を知りたいと思っています(私の知る限り心を扱っている分野で実績を明らかにしているものはただの一つもありません。それどころか望ましい成果をあげている証拠すらありません。これは精神医学や心理学等も同様です。ほとんどの医学や会社等の場合、たいてい人は実績で選びます。ところが心を扱う分野はどれも実績を公表されていません。つまりどれだけ人の役にたっているのか全くわからないのです)

仏教はどうなのでしょうか?
 

仏教はあなた次第

 投稿者:全雄  投稿日:2008年 9月17日(水)13時17分20秒
  だらしない者様へ、返信が遅くなり恐縮です。最近書き込みがなかったので、毎日はこちらを開いておりませんでした。仏教書をお読みになられたとのことですが、どのようなものをお読みになられましたか。

仏道修行をするとどの程度苦しみがなくせるのかとのご質問ですが、個々のその方の持っているものそれに対する取り込みによってまったく違ったものになるのではないでしょうか。お医者さんに何が出来るのかというのと一緒で、その方の症状体質体力に応じて診断の仕方も処方も異なり、その上で何がどこまで効果があるかということも違ってくるのと同じだと思います。

どうしても変えられない行動パターンというはどのようなものでしょうか。その方がそれを変えたいと本当に真剣に思えるなら変えられるでしょう。すべてのことにはそれ相応の原因があるはずです。

何かあったときに過去に植え付けられたパターンに心が反応するということでしょう。それぞれの現象が過去のどのようなことによって引き起こされているものかをきちんと確かめ、そのことに新たな認識を持つことが出来れば変わるのではないでしょうか。

きちんと瞑想実践することによって変わると思います。そのかたの取り組みの仕方姿勢次第だと思います。
 

仏教はどこまで救済可能か?(何ができるのか?)

 投稿者:だらしない者  投稿日:2008年 9月12日(金)13時44分20秒
  はじめまして。私は数年前から仏教の教えに興味があり、何冊か書籍を読んだりもしました。ですが、仏教に関する疑問もあります。
仏道修行を実践すると、どの程度の苦しみまでならなくせる(救いようがある)のでしょうか?

具体的にはどうしても変えられない行動パターンを変えたりする事は可能でしょうか?
虐待は連鎖する(かつて虐待されていた者が親になった時、子供に虐待を加える事がよくある)と言われます。
そのような親の行動パターンを変える(そして親の苦しみを救う)事はできるのでしょうか?

遠い昔におこった痛みを伴う記憶が突然、蘇るフラッシュバックと呼ばれる現象があります。そのような現象から人を救いだす事はできるのでしょうか?
コミュニケーションが上手くできなかったり、対人恐怖症だったり、理由もなく突然落ち込んだりする現象を解決する事は可能でしょうか?

唐突ですが、教えて下さい。
 

全雄様

 投稿者:楽園  投稿日:2008年 6月20日(金)13時29分37秒
  お久しぶりです。
ご回答ありがとうございます!

最初に書きもれまして分かりにくい文章であったことをお詫びしたい思います。

お年玉は、普段会えずにいた親類から手渡しではなく送金して貰っていましたので、あえて貯金はせず、ぽち袋に入れたまま母親である私が誰にも内緒で保管していました。(赤ちゃんの頃より頂いていたものなので、分かるようになったら「沢山の人があなたのためにくれたんだよ」と話して聞かせるために保存していました。私の家は、年に一度も家族が集まるようなことが無く、普段は全く会えないという環境でしたので。

今回のことは、子供も大きくなりお友達の出入りが多くなってきたことで、やはり家の中にいつまでもお金を置いておく訳にはいかないと感じた矢先の出来事でした。

お金の所在を知らないと思っていた息子が知っていたことも、大人と子供の視点の違いを感じました。(私はたとえ泥棒でも判らないだろうぐらいに思っていましたので!)

あと息子のお小遣いが多いかは、我が家の場合単純におやつ代だけでなく、本代(以前は月に一冊買い与えていた)ビデオレンタル代(我が家はテレビを付けていないため、代わりに月に3回ビデオを借りている)を含めた値段になります。

これらのことは段階を踏んでいるので、そのため彼は小さくても貰ったお金をいっぺんで使うことなく、コミック発売日までそれなりにお金を残しているなど、管理できているように思います。

理由はあったつもりですが言い訳に過ぎず、全雄様の言われるように、これからこのようなことが起きないよう勤めたいと思います。

子供の年齢が小さかったため、犯罪などに関わることの無かったことだけでもよかったと、
今は考えております。
 

楽園様へ

 投稿者:全雄  投稿日:2008年 6月19日(木)18時52分9秒
  お久しぶりです。お元気にお過ごしのこと何よりです。

今回のご質問ですが、最初に感じましたのは、どうしてそんなに大きな金額をお子さんに管理させておられてのだろうか、ということです。大きな額は別に子供名義で貯金でもして、小銭だけを持たせても良かったのではないかなと思いました。お住まいのところとこちらでは子供に対する感覚が違うのかもしれませんが、大人でもそんなに大きな金額は現金で持ち歩かないと思いますので、その点が残念に思いました。

それから、お友達のことですが、やはりその子だけがお宅に出入りしていたということなら不審に思うのは当然かとは思いますが、インドなどでは、よく、盗難にあったりしますと、盗られた方が悪いと言われます。盗られるようなところに貴重品を置き、きちんと管理せず、誰かにそれを盗るような悪事をはたらかせてしまったのだから、盗られた人が悪いのだということなのです。

ですから、このことも盗られた方が悪いとまでは言いませんが、確かに、他の子がうらやむようなものを見せびらかすような行為をしてしまったわけですから、そう言われても仕方ないのかもしれませんね。今回のことはよい教訓として、お金はなかったものとして、これからきちんと管理していくようにされたらいかがでしょうか。

それにしても、小学校2年生で、月のお小遣いが1900円というのも、多額だと私には思えてしまうのですが、そちらではと言うか、今ではその程度が普通なのでしょうか。責任を持たせ、金銭感覚を子供のうちから植え付けるということも必要かと思いますが、お金の使い方、何が大切で必要かを教えないと怖いことにもなるなと、今の時代ですから、思えてしまいました。

失礼な言い方もあったかもしれませんが、どうかお許し下さい。全雄
 

(無題)

 投稿者:楽園  投稿日:2008年 6月17日(火)11時53分34秒
  子育てについてご相談させてもらうことは出来ますでしょうか?

スルーしていたただいても結構ですmm

ご相談したいのは、私の7歳になる小学2年生の息子と同学年のお友達のことになります。

今月、我が家からいくらかの現金が無くなっていることに気が付きました。
そのお金は、子供が生まれてから頂いてきた、7年間分のお年玉です。
無くなっていたのは一部ですが、金額ははっきりしないものの少なくとも
3、4万円多ければ10万円近くに上る額になります。

息子に話を聞いたところ、(以前からお年玉のある場所を知っていたこと)
(前にお友達に見せたこと)(自分は千円札を一枚持ち出したこと)
などを話してくれました。

息子の言うように、ぽち袋の千円札10枚の束が9枚になっているのがありました。

夫の記憶で今年3月頃、急にトレーディングカードが増えたのでおかしいなと思ったことがあったとのことで、調べてみると金額にして千何百円か分になることが分かり、我が家ではその当時お小遣いとして週末に200円。お手伝いして+α程度渡していましたので、持ち出したお金の使い道に間違いないだろうということになりました。

後で息子もカードに使ったことを話してくれました。

ですが何度聞いても、ぽち袋ごと無くなったお金の話は分からないとしか答えず、
家の中を探しても出てきません。

お年玉を見せたお友達に話が聞けるかと、その子のお母さんと連絡を取りましたが
「オレは盗ってない」と財布を持ってきて中を見せられたそうです。
他に目ぼしい話を聞くことは出来ませんでした。

まだ2年生になったばかりの子供のお金の使い道はあまり多くはないと考え、
近所のコンビニに連絡してみると、
小学1,2年生の男の子で高額紙幣を使って買い物をする決まった子がいるという
情報が得られました。

写真で判別出来るということなので息子の写真を確認してもらったのですが、「え?この子ですか?この子は見たことがないですね。」とスタッフの皆さん知る人がいない様子でした。(小さな子供が大きなお金でたびたび買い物に来ることは珍しいことで、スタッフ間でも話題にしていたということでした。)

自分の子供の可能性がなくなった訳ではありませんが、夫も私もお金を見せたお友達が持ち出したのではないかという気持ちが大きくなってしまい、

そのお友達がよく家に遊びに来ていたこと、コンビニの出入りが多いことや、以前にその子のお財布に千円札数枚が入っているのを見たことがあった等、疑わしきは罰せずとはいいますが、
本当はどうなんだろうという思いに駆られます。

一方、我が子のお金に対する執着は相当なもので、学校から募金の連絡が来ても100円入れようとする私に、
「もったいないから10円にして!」
などと言い出すほどで、現在はお小遣いとして毎月1日に1900円ほど渡していますが、今月もまだ400円を残し、残りのお金の使い道も「来月のお小遣いと合わせてカード買うから取っておくんだ!」と張り切っています。

そんな息子がむやみやたらに親の分からないところで何万円も物を残すことなく消費していたとは、とても考えられません。

一番疑わしのは夫なのでしょうが、私は夫には疑うことのかけらもありません。

嫌なのは今後もそのお子さんだったのではないかと思ってしまう自分がいることです。

全雄様はどんな風に思われましたか?
 

世の中と仏教

 投稿者:全雄  投稿日:2008年 1月12日(土)17時41分41秒
編集済
  伝宝様 私も実は、この世の中の成り立ちと仏教がどのように関係し、どのように説明されるものなのかにとても興味があります。現実の私たちの生活の様々な悩みの中に仏教は立ち向かいそれらをこともなく救い出す力があるはずです。

大きな歴史の流れの中で今の現実はとても複雑な要素を併せ持ち、それぞれの人がそれぞれの立場と環境の中で歴史と対峙している。歴史などという大それたものを出してこなくとも、誰もが日々の生活に仏教が生かされなくてはいけないと思っています。まさに伝宝様が抱かれている様々な問題点についても同様かと思います。

そこで、やはり私はお釈迦様が何故に縁起を説かれたかということに立ち返ってみたいと思うのです。何事も因縁によって結果したものであるという、すべてのものに原因ありとする立場です。何事もあるべくしてある。今の心を抱くのにも原因がある。すべてのことは原因があって結果しているということです。

今の日本が不況と言いながら、おおかたの人たちが厳しい生活を強いられながらも他の国々のように飢えずに生活していけているのも先人の努力のお陰でしょう。自殺が多いのは人々が物に振り回され周りの人の心を軽視し家庭教育を疎かにしてきた結果でしょう。役所の官僚たちの横暴で税金を無駄づかいされるのも経済発展ばかりを尊重し、政治や特に選挙を甘く見てきた国民の罪でしょう。

ただ、地球環境の問題や様々な感染症の問題は世情言われている情報が故意に全く別の目的からマスコミを通じて作り出された啓蒙活動ではないかと思っています。世の中は誠実で真面目な大多数の人たちとそれを操作し扇動して大衆をある方向に向けさせ管理していこうとする立場のごくわずかの人間がいるようです。

ですがそのごくわずかの人間たちの力は計り知れなく大きく私たちは大きくはその流れの中に置かれている。だからこそガソリンがこんなにも高騰しているとも言えるでしょう。介護の問題も大きな社会問題です。上部の者とのコネによって簡単に有利な介護認定を得る人もあるようです。そういう嫌らしい社会を作ってきた原因がこれまでの社会の歴史に刻まれていることでしょうし、私たち自身の心の中にもそうした心が隠れ潜んでいるのかもしれません。

介護にせよ、結局はそれぞれの人間対人間の接点から起こる問題だと思います。子供たちに目の輝きがないのも自由が失われ、何事も管理する姿勢が優先されるからではないでしょうか。ゲームに携帯にパソコン、便利な道具はそれら機械に人間が使われるようになり人々の生きている実感を失わせてしまいました。しかしこの流れはそう簡単には修正が効かないような気がします。私たち自身がこうして通信し合っている現実もありますし。

大きくはすべてをこの縁起の教えという枠の中で真摯にその成り立ちを静かに受け入れるしかないのではないでしょうか。今の時代に生まれあわしたのを嘆いても仕方ありません。今の時代に生まれ出てきたのも私たち自身の業だとも言えます。

人生とは苦しみであると言われたのもお釈迦様です。苦しいと思いを重ねていくのにも原因が必ずあるはずです、根本的には欲や執着が誰にでもあります。そのことにまずはきちんと気づく必要があるようです。そして、これが今の世の中であるときちんと受け入れて、執着を生み欲を作り出す思考を遮断していくことが大切なのではないでしょうか。

なおかつ、自らは慈悲の心に住して、すべての生きとし生けるものたちに幸せを願いつつ、人々と接し、機会を見つけてはその人たちにそれぞれに応じて教え導くという姿勢を持つことしか残る道はないように思えます。

そうして心安らかに死を迎える、死ぬ瞬間には世の中がどうのと言っても仕方ないわけですし、ただ静かに心穏やかに死を迎える。そうして沢山の功徳よい体験を得られたことなどを思い出されながらそのときを迎える。そうすれば、必ず来世はよいところに転生するはずです。何も心配することはないのではないでしょうか、感謝と慈悲の心で死を迎えるということこそが私たちに安らぎをもたらし間違いのない死後を用意してくださるはずだと思います。

伝宝様の思っていたお答えとは似て非なるものかもしれませんが、今の私にはこの程度のことしか申し上げることが出来ません。どうか、インドでの体験によってすばらしい知識や知恵をお持ちであることを大切になさり、多くの周りの人たちをお導き下さいますことを念願いたします。
 

生活が一番

 投稿者:伝宝明徳  投稿日:2008年 1月10日(木)05時56分19秒
  全雄さん、お世話になります。相手して頂いてありがとうございます。

<なにしろ何十年前の記憶です。ブッダガヤからサルナートまで、歩いて行った時の事です>なんて話を続けてみたいものですが、ブッダの跡をたどって正覚の地ブッダガヤから初転法輪の地サルナートまでの旅を振り返り、2500年前の良き時代を偲ぶのは、よっぽど時間に余裕がある時にしましょう。

問題は、今現在の事です。今日の過ごし方です。2008年も始まったばかり、現世のまっただなかで生きている自分にとっての、待った無しの課題です。過去の体験に振り回されず、日々新しく挑戦し、様々な体験を重ね、さらに深めてゆく。その通りだと思います。ブッダの正覚、悟りの本質も、静止した不動の時間における実現ではなく、移ろい行く無常の中での生き様にあると思います。

ですから、福田首相が日本をどの方向に向けて行くのか、原油高はどこまで続くのか、スマップの<世界にひとつだけの花>が、なぜ人々の心を掴むのか、なんて話題も仏法そのものだと感じます。
そして、なによりも、この世界でのなりわい、どうやって今日の収入を得るのか、喰ってゆくのか、家族を喰わせてゆくのか。ガタがきた愛車を乗り換える車種選びはどうするのか。そんな日常の暮らしの悩みの中で、2500年前のブッダの生きた人生、彼の宣言した悟りと、自分の毎日はどんな関係があるのか。

それこそが仏法そのものであり、自分の修行なのだと思います。地球環境が悪化している、日本は破産している、貧富の差が拡大している、年金も本当に無能な社会保険庁の役人から支払われるのかも不透明。誰もがそんな事は知っています。
なによりも、これから不自由になるばかりのこの身体、年寄りになり無力になってゆく自分を、誰が面倒みてくれるのか。倒れた時、家族は最初こそ良くしてくれるだろうが、たわごとばかり言いはじめた老人に、周囲は困るだろう。その本人が大事に積み立てた貯金で立派な施設に入れてくれるだろう、それは周囲の善意からでるだろう。
そこにおいての<人間の幸福>はどこにあるのか。後進国と呼ばれる国々では、若い者の眼は輝いている。年寄りも長老として、それなりに生きる場所がある。しかし、日本では、若い者は暗い眼をし中高年を中心に自殺が3万人、年寄りは社会の片隅に隠れている。

それら全てにブッダの悟りが関わっている。仏陀の教え、すなわち仏教はまさに現世の森羅万象を説いている。この世界の悩みの根本的な答えを持っている。

本当にそうなんでしょうか。全雄さん。私の魂の救いになるものが本当に何かあるのですか。理屈や理論よりも、大きな安心を持って生きて行く、死んで行く、この苦しみを癒す力はどこにあるのですか。
 

ブッダガヤ

 投稿者:全雄  投稿日:2008年 1月 9日(水)10時54分3秒
  伝宝明徳様 ブッダガヤは、二度ほど参りました。一度は、5月の熱いときに、私も何も調べずに行きましたので、ひどい目にあいました。二度目は、カルカッタの師匠と一緒に。そのときはマハーボディのゲストハウスで、ダルマパーラさんの生誕祭に出席するために行きました。

長いことサールナートにはいましたが、やはり今にもお釈迦様が歩いてこられるのではないかという雰囲気がありました。私も未だに道を歩んでいる人間に過ぎません。特別に分かっているわけでもありません。

それぞれに訪れた体験はその人にとって尊いものだと思います。日々新たにその体験をさらに深めていくことが大切なのだと思い精進したいと思っております。
 

思い切って

 投稿者:伝宝明徳  投稿日:2008年 1月 7日(月)18時31分55秒
  全雄さん。早速の返事ありがとうございます。
実はナマステブッダを見つけて何年になりますやら。5年ぐらいは経つ気がします。
それ以来、(ひとり言)など折りに触れては見せてもらっていました。多くの文章が心を打ちました。素晴らしいですね。こころざしが本物ですね。
今まで、アクセスは遠慮していましたが、今回思い切って書き込んでみました。
最初見た時から、ホームページの完成度は高かったですね。量も質も充実していますね。

私は、1972年にブッダガヤにたどり着きました。それまでは、ブッダにも仏教にも何の興味もありませんでした。知識もありませんでした。ただ旅人としてブッダガヤに流れ着き、樹下で開業している野天のお茶屋に住み着いたのです。

ただそのチャイ屋から<お大塔>までの距離は百メートルでした。昼間は茶屋のベンチでごろり、夜になると<お大塔>に行き、チベットの巡礼に混じり、見よう見まねで坐禅を組みました。菩提樹の下でも、お大塔の中でも・・・。

満月の夜ともなれば神秘的な体験が訪れました。インドの暑さと、けだるさが永遠を教えてくれました。仏陀の成道以来2500年、しかしインドの永遠の時間からは一瞬です。玄奘三蔵の訪問以来でも、千数百年経っていましたが、大唐西域記を読むと昨日のように感じました。確かに、永遠は瞬間の中にあり、瞬間は永遠の中にありました。

いずれにせよ、帰国以来、文献をあさり先人の言葉に耳を傾けましたが、結局はブッダの真髄は、この心にしかない。ただ、(本当にゴータマ・ブッダっていたんだ)と確信したことだけが今もなおこの心に残っています。

21世紀になり、私の余命も残すところ、あと僅かです。ここは全雄さんと腹を割って話してみたいです。言葉を超えたところで、本当のところ、仏法の真髄を教えてください。
 

ようこそ

 投稿者:全雄  投稿日:2008年 1月 7日(月)17時18分5秒
  伝宝明徳様 初めまして、ようこそいらっしゃいました。インドではどちらへ行かれたのでしょうか。また自然の中でも大変でしたね。このあたりもイノシシの被害がたまにあります。足場屋とはどのようなお仕事でしょうか。どうぞお元気に。またお便り下さい。  

こんにちは

 投稿者:伝宝明徳  投稿日:2008年 1月 7日(月)01時19分18秒
  広島県三原市出身、インド放浪から帰国して東京に15年、信州田舎暮らし20年です。大自然に囲まれた農場暮らしを目指し実現するも、5人の子育て達成すると同時に山の荒廃による野生動物の乱があり、野生の鹿や猪に取り囲まれての暮らしです。自給自足の暮らしから社会復帰して、47才から始めた足場屋で全力投球の毎日です。ブッダの実在に触れた経験を今も追っています。  

様々なご相談をお受けします

 投稿者:全雄  投稿日:2007年12月 6日(木)08時01分15秒
  先日、ある方がお見えになり、除霊をしてくれますかとご質問になりました。突然のことで何かご不審のことでもおありですか、などと様々お話を伺いました。その方は特別除霊の必要もなく、30分ほどお話を聞かせていただき、またこちらからも話をさせていただいてお帰りになりました。

最近のスピリチユアルブームというのでしょうか、もちろんそれは昔からあることなのでしょうが、不要に私たちの不安をかき立てておもしろおかしくテレビなどで取り上げるからなのでしょう、何かあるのではないかと不審に思う人も多いようです。

一人で悶々と考え、おかしな方向に進まないように、そんな方は何かと一人考え込まずに、お気軽にご相談下さい。メールでも結構です。またお近くでしたらご連絡の上お越し下さい。お待ちしています。
 

五百籏頭様

 投稿者:全雄  投稿日:2007年10月30日(火)08時19分52秒
  ご無沙汰しています。お元気そうで何よりです。般若心経は、短い経典だけに、いろいろと便利な反面様々な問題点を含んでいるようです。仏教は、すべてお釈迦様から発しているわけですから、もとをしっかり押さえておかないと徐々にすこしずつ誤りを重ね、大きく教えを逸脱したものになりかねないということだと思います。  

以上は、新着順21番目から40番目までの記事です。 1  2  3  4  5  |  《前のページ |  次のページ》 
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