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27日は予定通り代々木で1500に

 投稿者:色平哲郎  投稿日:2009年 6月 3日(水)15時44分3秒
  オルコット大佐、ダルマパーラと読ませていただきました
佐藤さまにくれぐれもよろしくお伝えくださいますよう
私も、善光寺は時に伺います
27日は予定通り代々木で1500に いろひら拝
 

Shahpuhrさま

 投稿者:全雄  投稿日:2009年 5月24日(日)18時37分12秒
  御無沙汰致しております。お元気そうで何よりです。いろいろと貴重なご指摘有り難う御座います。

鞆の浦についてはあまり詳しいことを知りません。また勉強させていただきます。大覚寺に関しましては、本尊様は五大明王かと思いますが、本堂にあたる五大堂には、一昨年伺った際には、雲照律師の御像が御座いました。

その他ご指摘のこと研究させていただきます。ありがとうございました。取り急ぎ御礼申し上げます。
 

『般若心経』と大覚寺さん

 投稿者:Shahpuhr  投稿日:2009年 5月21日(木)13時23分7秒
   大覚寺派さんは宗派の内容として若干?もうひとつな点(門跡寺院・南朝所縁ということにまどわされて自派の重要性に気がついてない)があるものの、所属する個人としては優れた若手(知人)が何人もおられるみたいで不思議です。おそらく魂では気がついておられるのでしょうね。その中の一人で友人(徳島県の真ん中くらいにいる住職さん)でもある方に<「仏教」に凝り固まってないので、仏教として極めて健全であってかつ危険が極力排除されているこのHP>を照会したら、「みたよ」と返事をいただきました。

**

 さて、本山の『般若心経』のお堂のご本尊は今ある薬師さんよりも、般若菩薩さんのほうが相応しいですね。草薙さんの趣味ですか? 雲照さんの弟子なのに。   あれでは史実ではないことが既に立証されている架空の話をいつまでも語っているのみならず、『般若心経』といいつつもそれを書写した天皇さんたちの御真筆を影向の演出で拝むというけしからん構造だととれないこともないです。この記述は営業妨害にはならんと思います。

 チベット人の間では仏母として多羅菩薩が真言によって拝まれているのに、『般若心経』花盛りの日本では仏部の仏母な般若菩薩をご本尊として祀っておられる寺院が、管見では、存在しないです。そればかりかその御名前さえも殆ど知られてないみたいではないですか!

 それ故に大覚寺派のお坊さんたちは般若菩薩の真言の伝授もぽんぽんおやりになられた方がよいと思います。そうしないと現状のように『般若心経』は迷信的な呪術(呪物信仰・N練習れべるのお経信仰etc.)になるか般若心経人生論になるかどちらかの域を出ないですからね。もしも伝授をぽんぽんするとなると内容を理解させてから授けなければいけないから、坊さん自身も勉強する必要もあるし、伝授作法の為に常に大日となる必要があるので、かなり緊張するでせう。 それが坊さん自身を金銭面も含めて守護することになるのです。

ある程度般若心経が書けるようになったら、書写するよりも坊さんの本(江戸時代には良書が沢山出てる)を復刻するお金を布施して頂く方が遥かに功徳になると思うのですが。坊さんにも貧乏な方は多くて、私の友人は本を買うお金がなくて困っておられる。

私が坊さんかどうかは最極極秘です。名前のとおり在日イラン人という事にしといて下さい。イラン人は日本語が上手な人が多いです。

全雄さまには該当しないですが、真言宗僧侶は生きている人へ、三帰・授戒を含めて、与えない罪(ここでは特に般若菩薩の真言)の重さを思い知る必要があると思います。密教の境界は僧俗とは無関係です。関係あるのは深い部分。あろうことか輪廻観を差別思想だとか言って否定する仏教僧侶の外形をした者まで出てきている(禅家や真言宗で)。頭隠して尻隠さずといふべきか。最高レベルの越秋刀魚屋です。 先日お知らせしたゾンビ軍団はそうした罪の中から出てきて広がりつつあるものだとも言えると思います。

それから大覚寺さんにとって大切なのは後宇田さんではなくて、弘法大師の直弟子(灌頂も授かった)としての嵯峨天皇さんです。弘法大師の時の日本の君主としてあるいは弘法大師の友人としての彼ではないです。敷地も彼の別荘。 また尊仁法親王さんや恒寂入道親王さんの方が後宇田さんよりも大事です。どうでもいいけど後宇田さんちは、初代の亀さん以来、親父の遺言を反古にしつづけていった家系ですね。

草薙堂だけでなくて雲照堂もたてませう。無理ならせめて草薙堂に雲照律師象を安置してお祀りしてくださいまし。

大覚寺さんへおおくりしても相手にされない(おそらく何処の宗派も同じ)と思うので。掲示板に出させていただきました。  史実の認定に間違いがあったら御指摘ください。
 

鞆ノ浦

 投稿者:Shahpuhr  投稿日:2009年 5月21日(木)12時10分43秒
  ごぶさたしております。このHPを拝見してたら見つけました。全雄様は大阪は田辺の法楽寺へもお参りにおいでなのですね。私は慈雲尊者の関係でそこの住職さんとはご懇意にさせて頂いているので、先日おじゃました際に、備後国分寺の住職さんをご存知ですかとお聞きしたら、ご自身は忙しく動き回っているので、お寺に来られるお坊さんに殆どあったことがないそうな。こんど法楽寺さんへお参りなさる際には、住職さんと約束をとってからお出かけになられるとよいと思います。約束してても駄目な時も......。
雲伝神道の時にはおいでになられたでしょうか?


鞆の浦はお近くみたいですね。その地は無範勝光智和尚(光厳天皇)が、廃位されて(上皇の称号を後醍醐に認めてもらえなかった)半分幽閉状態の不遇の境遇にある時に、都を脱出してかの地に滞在して足利尊氏卿へ院宣(実質的な)を出したところです。尊氏軍が勝利できたことの半分はその院宣のおかげです。
 また光厳天皇の位置づけは日本の仏教史上で極めて重要(比喩ではなく御修法と同じくらい)なので、 お暇な折にはぜひとも鞆ノ浦へもお出かけください。海上の小島にある観音堂などとてもきれいです。私が記憶するかぎりでは、光厳天皇を記念するものは未だなにもない筈ですので、跡を辿るのはなかなか困難かもしれないです。

ちなみに光厳天皇は不当にも歴代から外されてしまっている。北朝正統論を採ると、神武etcといった神話的で存在性が怪しいのも数えるとして今上の御聖上は128代です。歴史学者故中村直勝氏は光厳天皇は北朝の天皇ではないから南朝史観であっても歴代に入れなくてはいけないと書いている。歴代から外されているのは後醍醐が自身の重祚を認めないからに過ぎないそうです。天皇家の正嫡である光厳は、それ故にこそ、後醍醐の政権を倒そうと考えた。これは彼が後に出家することの重要な伏線です。

 南朝正統史観(水戸学)に基づく125代説はおそらくは垂加神道(廃仏的)が背後に隠れておるのでせう。虚構である「万世一系」「国体」に拘って自分の家とは全くの赤の他人の家の家系図に血眼になった往時の人々には実は宗教的な背景があるからなんです。実質的なご本尊の<ぱんておん>だから。いろいろな新興宗教でとんでもないものがご本尊となってる例を思い浮かべたら滑稽で面白いと思います。

開祖の闇際先生について近年よい研究が複数でてきているので注意していて下さい。吉田松陰なども三戸学の中の宗教性の影響下にあったことは古くから指摘されてたことです。古神道と称してるものにはこれの亜流も多いです。
 

山口様

 投稿者:全雄  投稿日:2009年 4月 6日(月)14時39分54秒
  はじめまして。ご質問の内容ですが、見ていないので何とも言えませんが、その上に雨樋の水が落ちるようになってないでしょうか。今なくても、昔はそこに樋の水が降りるパイプか鎖でもあったとか。おそらくそのようなものではないかと思いますが。直接、そのお寺の方にお尋ね下さい。  

教えてください

 投稿者:山口久六  投稿日:2009年 4月 6日(月)14時09分13秒
  名古屋の拙宅の近くに建中寺があります。そこに不動堂というのがあって正面に左右二つの深緑色の鉄の鉢のようなものがあります。これは何という名前で何に使うものなのか教えてください。直径1m、高さ1.5mくらいで青いチューリップのような形をしています。線香台や灯籠ではないようです。石灯篭のすぐそばにあります。側面には金色で葵紋が彫られています。松明やかがり火用でしょうか。  

遅くなりました

 投稿者:全雄  投稿日:2009年 3月28日(土)08時09分20秒
  いよかんさま、

大変返信が遅くなり申し訳ありません。法要前の慌ただしさに取り紛れておりました。
また落ち着いて拝見しますが、立派なホームページを主宰されているのですね。驚きました。地域の歴史などに興味があるのですね。

また大覚寺の歴代門跡の院号は、そうですね、なぜか四文字です。普通僧名は二文字ですが、三文字の僧名の方も何人かおられます。普通ではいけないということでしょうか。また何か分かりましたらお知らせします。

それから座禅会のお知らせをしましたが、4月は第2土曜日に実施します。良かったらご参加下さい。全雄
 

はじめまして

 投稿者:いよかん  投稿日:2009年 3月23日(月)16時47分3秒
   今日の昼前に参拝し、御朱印を頂戴したものです。
 今日は昼前に伺ったにもかかわらず、快く御朱印を授与して下さり、ありがとうございました。
 貴寺院様のホームページは、興味深く拝見しています。よかったら、小生のもご覧頂けたらと存じます。
 少し話しが変わりますが、早速「戒名と日本人」の文庫本を購入しました。「僧侶としてあの世に旅立つ」良い言葉だと思いました。じっくりと読んで行きたいと思います。
 そうそう、大覚寺へ参拝した際、「大覚寺のご歴代様の院号が○○○院」と、4文字でした。あれは、何か意味があるのでしょうか?

http://iyo.sunnyday.jp/

 

自分の周りの状況は自分の心のあり方の反映

 投稿者:  投稿日:2009年 3月22日(日)23時51分44秒
  はじめまして。通りすがりのものです。今日初めてHPを訪問させていただきました。

かずよ様は凡夫様の心のあり方を指して諭しているのだと思うのです。今の自分の宗派や仏教界そのもののあり方について「あれも間違っている。これも間違っている」と責め裁くのは、心の中に他人と争う思いがあるからで、心の安らぎからは程遠い状態ですよ。自分の心のあり方を振り返りなさいとおっしゃっているのだと思います。

そういう私も昔は日本の宗教界に疑問がいっぱいの人間でした。私は他人や社会をとても批判的に見る人間でした。何事につけても不平不満が多い人間でした。あるとき自分の周りの状況は自分の心のあり方の反映だということに気がつきました。考え方を改めました。間違っているのは社会の方ではなく自分の心の方でした。今では、昔と比べるとずっと温和な人間になったと思います。

「世間で起きていることはすべて正しく、むしろ間違っているのは自分の心のあり方ではないか。そのように考えて他人を責める前に自分の考え方を改めなさい。そういう習慣を持ちなさい」と言いたいのだと思います。そうした人間の方が成長していけると思います。
 

かずよさま

 投稿者:全雄  投稿日:2009年 1月26日(月)18時00分52秒
  はじめまして、お便りありがとうございます。凡夫様に、かわって、ご返事して下さったのでしょうか。

ですが、起きていることはすべて正しい、良いことなのです、というのはいかがなものでしょうか。正しい、良いという価値判断抜きに、すべてがあるべくしてあると私は思います。すべての物事が因果必然の道理の通りに現れてある、ということではないでしょうか。

そのことをおそらく、すべては正しいという表現をされたのではと思っております。正しい、良いというと必ずしも穏当な表現とは言えなくなるかもしれません。

何か悪いことをしても、その結果が現れないうちはそれが心地よいことと思って過ごしてしまうかもしれません。それも正しい、良いことと思ってしまうとどうでしょう。しかし、悪業には必ず苦果がついて回ります。それは死後来世で受けることになるかもしれません。

いずれにせよ、悪いことをしたら苦しみが待っていると思わないで、なしたこと起きていることがすべて正しいこと良いことと思ってしまったら、世の中悪がはびこるのではないですか。ですから、すべてのことは良し悪しではなく、正しい間違いではなく、起きていることにはすべて原因があり、あるべくしてあるということのほうが、正確な表現と言えるのではないかと思います。
 

凡夫様

 投稿者:全雄  投稿日:2009年 1月26日(月)17時44分4秒
  凡夫様、お便りありがとうございます。私も凡夫の一人だと思っております。聖者の流れに到達していない者は皆凡夫にすぎません。

ところで、お母様の亡くなられたのを機に様々な勉強や体験をされてきたようですが、出来れば、もう少しお続け下さい。今のお寺のあり方、お坊さんたちの姿、様々疑問に感じられるような状況は、みなこれまでの長い積み重ねと、今の時代に応じた姿を現しているものにすぎません。だから仏教は悪い、つまらないのかというと、それは違うように思います。

凡夫様が感じられるようなありさまであれば、自然と時間がそれらを淘汰していくことでしょう。そして、本当に必要なものは残っていく。今時代は正に転換期にあります。様々な分野で、無理矢理にこれまでの古いやり方が変えられてきています。それがいい悪いというのとは全く関係なく。外国からの影響強制もあるかもしれませんが。

旧態依然としているのはご指摘の伝統仏教界だけかもしれません。しかしそれもそんなに長いことではないと私は思います。近い将来必ず、因果応報、この世の中の今の人々に受け入れられないものは衰退していくのではないかと思います。それが何とは申し上げられませんが。ですから、自らが信じる教え、信仰、修行をただひたすらなされるだけでよろしいのではないでしょうか。他を批判することは心を汚すことにもなります。いくらおかしいと叫んでも、簡単に変わるものでもありません。ただ空しさだけが残ることでしょう。

実は、私も真宗のことはこれまであまり勉強してきませんでしたが、最近、信楽峻麿先生の著作を読みまして、親鸞さんの教えもすばらしいものだと思いました。今私たちが認識している真宗の教えとは全く違うことが書かれています。是非お読みになってみて下さい。『親鸞とその思想』(法蔵館)がお勧めです。どの宗派の方でも、もちろん真宗のお坊さんにも、すばらしい方はたくさんおられると思います。
 

『起きていることは すべて正しい』

 投稿者:かずよ  投稿日:2009年 1月25日(日)10時17分27秒
  『起きていることは すべて正しい』のです。
いま起きていることは、すべて正しいことであり、すべて良いことなのです。
すべては良くなるように出来ているのです。すべては予定調和であって、
あなたが行ったこともすべて正しいことであり、すべて良いことなのです。
悔むことなど何もないのです、すべては良くなるように出来ているのです。
すべては予定調和するように出来ているのです。
 

仏教とは

 投稿者:凡夫  投稿日:2009年 1月24日(土)20時04分59秒
  はじめまして
私は広島県安芸地区に住む52歳の一凡夫であります。
生まれて50年全く無信心でおりました。宗教自体に全く興味がありませんでした。
しかし昨年4月に母が亡くなり葬儀をするにあたり仏教とは何ぞやと疑問をもちそれから書物・ネット・寺院めぐり等々で探求をしているところです。
そしてこの度貴HPとめぐり合いました。いろいろ教えてください。

投稿名からも想像できるかと思いますが私の宗派は先祖代々から俗に言う真宗安芸門徒、浄土真宗本願寺派です。
最初の疑問は「南無阿弥陀仏」とは何か、からでした。
意味も知らないで手を合わすのはいやなので一生懸命勉強しました。
歴史を体験しようと西本願寺にも参りました。
浄土宗本山の知恩院、親鸞聖人得度の青蓮院にもお参りしました。
法隆寺にも東寺にもお参りしました。
そのうち他宗にも興味が湧きさまざまな寺院をまわり四国も一部ですが巡拝を始めさせていただいています。
そしてこの度広島地区にある真言宗系を中心にした広島新四国八十八ヶ所霊場もすべて巡拝しました。
広島新四国八十八ヶ所霊場巡拝を完遂して今感じていることは現在の浄土真宗の寺院のあり方に疑問を感じるという事です。
親鸞の思想は素晴らしいと思います。親鸞自身は独立開宗の意思は無かったというのが通説ですが確かにそのように感じます。
現在の日本一の大教団の礎は蓮如でありその意味では蓮如宗と言えるのかもしれないなと感じています。
蓮如の分かりやすい言葉での教化とその子々孫々による組織作りによって飛躍的に成長した教団だと思います。
しかし現在の仏教が葬式仏教と揶揄されるようになったのもやはり2万を越える寺の抱える浄土真宗の責任が大きいのではないかと感じています。

広島新四国八十八ヶ所霊場は真言宗系のお寺が多いのですが自由に本堂に上がれお参りできるお寺が多い。
また住職がおられる時は気さくにいろいろお話を聞かせていただける場合も多い。お寺の本来の姿だと思います。(ただし本家四国の霊場には疑問もある。)
浄土真宗はどうか。檀徒からの寄付・布施で立派な本堂があるお寺が多いがほとんど例外なく本堂は閉まっている。しっかりと施錠もされて。
お寺は住職やその家族の個人的所有物ではないはず。その寺の檀徒の葬儀・法要以外は興味がないという意思を感じる。
住職自体もほとんどが職業的僧侶。僧侶という仕事を聖職者としてではなく収入を得る仕事としてしか捉えていないのではないかと感じる。
真宗門徒も教えが平易なせいか自分の宗派に対して全く無知・無教養な方が多い、私もそうであったが葬儀・法要・墓参以外は手も合せる事もない。
焼香の作法もバラバラだ。もちろん形や作法よりも手を合せる心が大事なことではあるが。
親族は皆安芸門徒。母の一周忌を前にして自分の宗派に疑問だらけになってしましました。ある面仏教そのものに対しても。
長々とすみません。ご住職はどうお考えになられますか。
 

(無題)

 投稿者:無知の人  投稿日:2009年 1月 6日(火)13時44分18秒
  お返事ありがとうございます。

日本人による上座仏教というものがあればきょうみがあります。どうやら微妙なようですね。いろいろ探してみます。
 

無知の人様へ

 投稿者:全雄  投稿日:2009年 1月 5日(月)19時29分20秒
  はじめまして、大変返事が遅くなりまして失礼しました。

ホームページご覧下さりありがとうございます。インド仏教と言いましても、現在は、いくつもの団体に枝分かれしています。大きくは伝統派のベンガル仏教徒と戦後初代法務大臣アンベートカル氏によって改宗した新仏教徒となりますが、その他にもアッサムやマドラスにも仏教会があるようです。現在は国が違っていますが、バングラデシュのチッタゴン丘陵地には、少数民族のチャクマ、マルマ、等の仏教徒もいます。

それらの仏教会の人たちは日本にも様々な目的で来られてはいますが、残念ながら、お寺や団体を作られたということは聞いたことがありません。現在、スリランカ、タイなどのお寺の出先機関としてのお寺は日本にいくつかあります。また日本テーラワーダ仏教協会という日本での上座仏教宣布のための協会があり、全国各地で講演会や瞑想会をなさっておられます。ネットでお調べになればすぐ分かると思います。

是非ご覧下さい。また何かありましたら、お気軽にお尋ね下さい。
 

インド仏教について

 投稿者:無知の人  投稿日:2009年 1月 1日(木)16時46分45秒
  はじめまして

インド仏教の葬儀の欄を見せていただきました。私の家は日本の仏教のごく普通の宗派なのですが、インド仏教に惹かれるところがあります。私自身は仏教徒といっても無宗派みたいなものです。日本にはインド仏教の宗派のお寺とか宗教団体はないのでしょうか?
 

ありがとうございます

 投稿者:全雄  投稿日:2008年11月10日(月)14時23分59秒
  道辺の小石も山の石様、貴重な実体験について詳しくお書きくださり、誠にありがとうございました。勉強になりました。

傷の大きさ深さに違いはあれど、自分にとっての心の傷というものは誰もが何かかかえているものではないかと思います。ですが、その傷が、大きく深いものであったればこそ、真剣に、また切実に感じ、それをまた真摯に受け止められて乗り越えられたのだと存じます。すばらしいことだと思います。長い人生の中でずっとそのことに悩み、辛い思いをかかえてこられたことをこうしてここにお書き下されましたことに感謝申し上げます。

私はそこまでの辛い思いを長くかかえていた時期はありません。小さな悩みを繰り返しかかえてきた程度ではありますが、それでも、その都度、そのつらさに気づき心を変えていくことでそれを乗り越えて参りました。その際には慈悲の瞑想を繰り返し念じたりしたこともありますが、それは、山辺の石も山の石様の試みられたことに通じるものではないかと思いました。

私も死ぬまで学びの修行の繰り返しなのだと考えおります。お近くにお住まいのようですので、是非一度お会いしたく存じます。よろしかったら、どうぞ、お気軽にお立ち寄りくださいませ。
 

フラッシュバックについて

 投稿者:道辺の小石も山の石  投稿日:2008年11月 9日(日)01時31分0秒
  散歩中に立ち寄りました。だらしない者さんのおっしゃるフラッシュバックの文章に関心が生じましたので、書き込みます。
私も経験しております。今から50年程も昔のことです。神辺中学校時代に野球部の部室に一人連れ込まれて、集団暴行を受けました。それは、私に悪意のある近所の一年先輩が野球部に依頼したものです。しかし、恐怖のためか暴行の内容は記憶が無いのです。報復を恐れた私は誰にも言いませんでした。その翌日から私は学校へ行くのを止め長期休学しました。暴行を受けてから数年後、恨み憎しみの自分の心に苦しんだ結果、そこから解放されたいと願うようになりました。風に揺れる木々の一枚、一枚の葉を一方向に直すより難しい、心の変化。一瞬で憎悪の生じる自分の心を変えるにはどうすれば良いか。中学卒業後、根っこから根本的に木そのものを正す事、自らの心を変えるしか無いと結論に達したのです。それが、お釈迦様の教えを求める初めでした。そこで、心を清らかにすること。自分というものを捨て、世のため人のためを願い、一日一日を一生と感じて、寝るときはこのまま死んでも良いと思い、日々日記を書いて一日を感謝する。目覚めたら、新しい朝に「さあ、頑張ろう。世のため、人のため、思う心が我が心」と手を合わして仕事に出かけました。そして、数十年、恨み辛みはいつの間にか消えておりました。ある日、"私というものに実体は無い"という体験が突然に訪れ、この世というものには実体がなく変化し続けるもの、人間は苦の信号で生きている。無我仏心こそ、本当の慈悲であると知らされました。それでも、性欲、食欲、物欲は旺盛です。五戒の道も守れず、貪瞋痴の自我の生じる一瞬に後悔し戸惑うばかりです。還暦を過ぎた今でも、楽しく語らう妻や子、孫を乗せて車で彼の営むお店の前を通るときに、フラッシュバックが生じます。もちろん、家族は知りません。それほどに、イジメや虐待が心の傷として残っています。しかし、その直後、あの人も元気でいるのかなぁ、と心が優しくなるのです。
 

世界最強のボーディスト

 投稿者:謎の超音波男  投稿日:2008年11月 7日(金)09時13分20秒
  http://hidekisano.web.fc2.com/
http://khoomii.web.fc2.com/
改めて
2006年に父が死去 人生でいろいろと大変でした。
心機一転してがんぱります。


英語では、フロット・シィーギング
Throat-siging
日本では喉笛
中国内モンゴル自治区では ホーミー
モンゴル国ではフーミン
タイでは、ヌカウ
ベトナムでは、ゴー
インドでは ボー
ネパールでも ボー

といい、
3000年前のサンスクリット語では、
なんと、喉笛のことを「ボー」と呼んでいた事があきらかになってきた。

たぶん、日本の坊さんの「ボー」だと思えば、
喉笛ができない人は単なる僧侶という事になる
http://hidekisano.web.fc2.com/

http://hidekisano.web.fc2.com/

 

そうですか

 投稿者:全雄  投稿日:2008年 9月23日(火)18時51分2秒
  だらしない者様へ。仏教の特に初期仏典にはたくさんそのような事例が記されているはずです。瞑想は個人の様々な体験については気をつけて他に語らないようにしているからではないかと思います。その体験はその人だけのものであって、他に語るべきものではない。ただ自分の瞑想の先生を別にして。

北王路書房の「マインドフルネス認知療法」という本があります。少し高い本ですが、これはアメリカの鬱病の医者たちが、仏教のヴィパッサナー瞑想を鬱病患者に体験させて、効果を上げたということが数値に表されて記されています。医者たちも実際に真剣に瞑想し、それを患者に施しています。すばらしい本です。是非ご覧下さい。

歩く瞑想をされたとのことですが、歩く瞑想だけでなく、座る瞑想もなさってみて下さい。また日常にもそれを活用されてみると、自分を客観的に見ることが出来るようになると思うのですが。自分なりの工夫も必要になるかとは思いますが、是非続けてなさってみて下さい。
 

以上は、新着順1番目から20番目までの記事です。 1  2  3  4  5  |  《前のページ |  次のページ》 
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